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ひな菊の人生
JUGEMテーマ:本の紹介

 なぜ私は、感想を短くまとめる、という事
 ができないのであろうか。
 こういうことだから部屋がなかなか片付か
 ないのだな、と反省。
 以下長文。意味もなく長文。
 
 苗字問題。
 この作家について何か文字で書こうとする
 時、いつも名前について迷う。ある時から
 改名して吉本ばなな→よしもとばなな、に
 なったわけだが、自分はまだどうも、なじめ
 ないでいる。スルッと「よしもとばななが」と
 書けない。文字でなければ声に出して発音
 すれば同じなのに、字面として見るとそれは
 まったく違っている。作家本人がそうしたくて
 そうしたんだから、よしもとだって言ってんだ
 からいい加減認めろよと言われたらそうなん
 だけど違和感があるものはあるの!!

 デビュー当時からのこの作家のファンで一時
 は「この人が書くものは全部好き、全部読む」
 っていう熱いマニアだった(若かった…)けど、
 ある一冊を境に、気に入る作品とそうでもない
 作品とに分かれるようになってしまった。

 しかもその差が極端で、号泣しながら一文字
 一文字を愛おしむように何度も読んでしまう
 作品がある一方、本を床に叩きつけて踏んで
 やりたくなるくらい(やってないよ)火にくべて
 その前にしゃがんで燃え尽きるさまを見届けて
 やりたいと思うくらい(絶対やってないよ)嫌いな
 ものは嫌い、といった具合。しかしダメな方のが
 なぜそこまでダメかっていえばそれは作品の方
 に問題があるというよりは自分の内面の問題の
 ような気がするが。自分の中にある、何か嫌な、
 虫、みたいなものを差し出された気分になるの
 ではないか、と。

 また、以前は出る作品は全部読もうと、完全に
 「待ち」の態勢だったけど、最近はそうでもない
 ので、作品群の中にもわりと取りこぼしがあった
 りする。この「ひな菊の人生」もなぜか読まないで
 いた一冊でした。ちなみにこれは「よしもと」でなく
 「吉本」名義で書かれたものみたい。

 表紙と挿絵が、奈良美智(たけるくんも好きな)
 でもあるし、タイトルも素敵なのに、どうして手に
 取る機会がなかったのか不思議。
 
 しかしひっそりとした、しんみりとした、死と雨と
 お好み焼きと焼きそばのソースの匂いのする
 小説であった。

 デビュー作からずっと、この作家が描いている
 のは基本的には、死、だ、死について、だ。
 ことさらに衝撃的に、特殊なこととして描かれる
 わけではなく、当たり前のように日常に、日々の
 食事風景のようにして描き出される。

 食べるものや食べることを書くのが上手な作家、
 好きそうな作家、というのがいるが、ばなな氏は
 そういう意味合いで、死、を書くのが好きそうで
 上手。人の死、というものの形や手触りを描くの
 が、抜群に上手いと思う。

 とはいえ、自分自身は、人の死というものを経験
 としてさほど知っているわけではないが、食事を
 書くのが上手な作家の書く食べ物が、それを食べ
 たことのない者にも手に取るようにわかるように、
 ばなな氏の書く死もまた、たやすく生々しくたぐり
 よせられる。

 私がこの作家に惹かれる理由の一つはおそらく
 この、死、という要素なのだと思う。
 子どもの頃から、死、というものについてばかり
 考えていたと思う。死にたかったわけではなく、
 その逆でとにかく死が怖かった。
 
 死、そのものも、死ぬということも、そこに至る
 過程や時間、原因、苦痛や恐怖、死体、命が
 なくなった途端に腐敗するということ、だから
 焼くということ、土に埋めること、人を亡くすこと、
 いなくなること、会えないのに残像は残っていく
 こと、それが「あなたの心の中にいる」とかいう
 きれいごとに変換されること、そういうこと全て、
 恐怖の対象だった。

 そして、生きてるということは何とよるべないこと
 なのだろうと、恐ろしくて一人でシクシク泣いたり
 もしていた子どもだったので、そういう感覚は今
 もどこかに残っているので、ばなな氏の描く死を
 読むと、当時の自分の何かが慰められるという
 か、納得するというか。

 読んでいて不思議に思ったこと。
 主人公のひな菊と以前に同居していた女性が
 三人称で「女」と呼ばれている件。

 ばなな氏の作中人物は変わった名前の人が多
 く、特に女性の名前には心血が注がれている
 気がするのに、この登場人物には名前がない。

 ひな菊はその人物について「同じ歳のそんなに
 親しくない女」としているが、その割には三年も
 一緒に暮らしているし、それなりに情も感じてた
 ようなのに、なのに「女」と呼ばれているのだ。

 女性を「女」と書いたりよんだりするのは、あまり
 いい感じがしない。ニュースで犯罪に関わってい
 る女性を「女」と言ったりするし、自分の場合でも
 「女」と称する時は若干の悪意が含まれている。

 なぜこの、思い出の中にいる女性が「女」などと
 いう扱いを受けるのかわからないな、と思いつつ
 読み進めていくと、その後にひな菊の経験した、
 「死」の話が出てきて、それで少し納得する。

 ひな菊の世界に確固たる人物として存在して
 いるのは、ダリアと母、だけなのだ。それ以外
 の人は、ただなんとなく「いる」だけに過ぎない。
 今現在の時間軸に目の前にいる人物ならまだ
 しも、過去の思い出の中にしかいない、三年間
 同居した人物は固有名詞の存在などではなく
 単に「女」でしかないのだろう。しかしばなな氏
 の小説の中で「女」とか呼ばれた人物の記憶
 があまりなかったので少し驚いた。

 死にまつわる、虚無や絶望や悲しみについて
 も描かれているのだけど、ふとしたところで、
 その、滑稽さやおかしみ、などについても触れ
 られていてハッとする。死についての描写だと
 いうのにプッと笑ってしまう表現が出てきたり
 する。そうか、こうして死であろうと何であろう
 と、何かに関心を向けて様々な角度から一心
 に観察すると、今まで見えてこなかった見よう
 としてこなかった部分が見えてくるのだな、と
 思った。悲しみの裏側にあるぶざまさ、恐怖の
 側面にある単純さ。

 奈良美智の挿絵は愛らしくたまに恐ろしい。
 私は文庫本117ページにある絵が一番好き。

 この小説の中で一番好きな一節は『二人が無か
 ら生み出したその空間に、その首の人もダリア
 も等しく存在する』という文と前後の部分。この
 一文だけだと何のことやらだが、最初から読ん
 できてこの文にたどりつくと、おお!という感慨
 がある。そして、その「空間」という言葉にとても
 魅かれる。

 思い出も空間、夢の中も空間、私のこの狭い
 部屋も空間だし、心の中、頭の中も空間。
 そして、小説、物語の中も大いなる空間。

 私にとって小説を読むということは筋を追う
 ことではなく、物語に求めるのは展開と結末
 ではない。ストーリーの面白さはさほど重視
 していない。欲しいのは空間。それは映像の
 場合にも言えることだが。今いる場所から別
 の空間に移動したいという欲望がある、常に。

 居心地の良さそうな空間に向かう、扉を開け
 たいと思う。それが本の表紙でも、映画館の
 入口でも、どこかの部屋のドアでも。
author:夏生(なつを), category:, 12:51
comments(2), trackbacks(0), -
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author:スポンサードリンク, category:-, 12:51
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Comment
夏生さん、ごきげんよう。

いちいちうなずきながら読んだのですが、うまいコメントが浮かびません。
吉本、よしもと問題も然り。
作品によって大好き、大嫌いがあるのもよーくわかります。
そして、私も「ひな菊」は好きなほうの作品です。奈良さんの挿絵もいいですよね。
「死」が淡々とそこにある、とゆうところも好きです。

父が亡くなり、焼き場で人の形に焼けた父の骨を目にしたとき、私はギョッとしてしまったんですが、6年生だった娘が「もっと粉々になるのかとおもったらちゃんとしてるね、おじいちゃん」と言ったんです。ああ、ほんとうだね、と嬉しかった。そんなことを思い出します。

奈良さんの絵、森美術館の「ゴー・ビトウィーンズ展」にもありました。
夏生さん、感じるものがあると思います。
マリバン, 2014/06/24 9:01 AM
☆マリバンさん

ごきげんよう、マリバンさん。
とはいえわたくし、実は「花子とアン」は若干
脱落気味だったりするのですが…。

ああ、こんなに長い、まとまらない感想文を読んで
くださってありがとうございます。

>吉本、よしもと問題も然り。

名前って、自分だけのもののようで実はみんなの
ものというか、呼ぶのは本人ではないですし。

>私も「ひな菊」は好きなほうの作品です。
>奈良さんの挿絵もいいですよね。
>「死」が淡々とそこにある、とゆうところも好きです。

好き嫌いができてしまってから常に、これが嫌いな方
だったら嫌だなあとびくびくしながら読み進めてしまう
癖ができてしまって、まあ2〜3ページ読めばだいたい
どっちかはわかるんですけど。これは奈良さんの絵と
ばなな氏の小説が優しく融合していて、空間として
心地よかったです。

骨について。まだ父方の祖母しか「見送り」をした経験
がなくて、それが初めて見た人の骨でした。
焼いた骨をつまみあげて、これはどこの骨でこれが喉仏
で、みたいな解説をしてもらったりとか箸で骨をつまむ
のとかに内心衝撃を受けつつも神妙な顔をしてしきたり
に従っていました。

>「ゴー・ビトウィーンズ展」

先日六本木に行く機会があり、観ようかなと思ったの
ですが、目的の要件に気もそぞろで集中して観れなさ
そうと思い、やめてしまったんですけど、考えてみれば
勿体なかったなあと。できればまた機会を作って行きたい
と思っています。
夏生, 2014/06/24 7:47 PM









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